2013/10/20

「いい写真」考

Leica M3?(失念)
「いい写真」という考え方が存在していて、これを指す内容は、人によって様々に変わります。

例えば、写真を撮っている/撮っていない人という、一番根本的に興味がある人/ない人で分けてみると、”写真を評価しているのか、写っているモノを評価しているのか”という違いがあります。


猫の写真。かわいいですね、存在自体が神様からのギフト。どんな風に撮っても絵になります。

子供の写真。はにかむ笑顔、澄んだ瞳。どんな風に撮っても絵になります。

外国の写真。カッコイイですよね、まるで映画、どんな風に撮っても絵になります。



写真を撮っていない人は、上記が無条件で100点満点になります。

何故なら被写体が素晴らしいからです。



ところが、写真を撮っている人は、これを減点していきます。



猫の写真。マイナス30点

子供の写真。マイナス50点

外国の写真。マイナス100点


写真を撮っている人は、それぞれ130点、150点、200点を獲得しないと、評価しないのです。
すなわち、被写体ではなく、写真自体を評価します。

被写体に頼って、「ズル」をしてはならないのです。


そうすると、興味のない人が見て 「どこが?」 という写真が完成します。


写真は他人に伝えるための道具の一種ですので、気軽に「いいね」を貰うことだけにフォーカスすると、それは誰が撮っても同じ写真になります。やがて統計処理で抽出された人気写真や自動生成されたコラージュ写真が流行るようになるでしょう。それでは個人が写真を撮る必要がありません。

表現をする写真家ならば、むしろ孤独で良いのではないかと最近思うところはあります。
上手い下手はどうであれ、他人と違うから自分です。

追記:
感じの良い写真が良い写真、良い定石写真を撮ることが良い写真なら、その他写真は何になるでしょうか。
センスとスキルと一緒くたにすることは、写真趣味の飽きへ繋がるように感じます。
孫が大好きなおじいちゃんが、スタジオ撮影のテクニックを駆使して孫を撮影し、photoshopで大胆な加工をしたところで、孫を思う気持ちが心底満たされるかといえば、どうだろうかと思うのです。何を求めるかに依りますけれど。

2013/10/05

フィルムは減って、価格は高騰。

Leica M3 Summicron 5cm/f2 ILFORD DELTA 400
いつものようにフィルムを買いに行くと、値札の表示に違和感を感じました。

前回買った時よりも、100円ほど値上がりしているようです。

通貨や船運賃の要因もあるでしょうが、需要減が根本原因かとは思います。


消費者が買わないものを企業は売れません。
だからフィルムや印画紙を使わずに「無くなっていく」と嘆いても仕方ありません。

どこかでこんな話を聞いたことがあります。

とある小料理屋のおかみさんが、お店の売上が立たず借金が増えるので、お店を畳むことを常連客に伝えました。
常連客はとても残念がり、「どうかやめないで欲しい」と口々に言いました。
おかみさんはその言葉に勇気付けられ、しばらくお店を続けようと決意したのです。

しかし、お店に客は来ません。やめないでと言った客もロクに来ませんでした。

とうとう、おかみさんの借金は返済できる限度を超えてしまい、お店どころか何もかも失ってしまいました。


楽しいことにはお金を払わなくてはなりません。

ディズニーランドに入場するには入場料を、リッツカールトンに泊まるなら宿泊料を。
ランボルギーニVenenoを所有したいなら3億6500万円を、サンマルクでアメリカンを飲むなら260円を。

払わなくては楽しめません。それを対価と言います。
現在のフィルムの販売価格が、フィルムを愉しむ対価なのです。

フィルムの愉しみが増していく、それは良いことなのです。
私は益々気持ち良く、フィルムカメラを愉しみます。

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