2014/12/15

自信の取り戻し方

Leica M3, Summicron 5cm/f2

一度無くした自信を取り戻そうだなんて、海に捨てた婚約指輪を拾いに行くようなものじゃあないか。

買い直した方が早いよ。

2014/11/19

機材選択の問題は、あまりに小さい。

Leica M3, Summicron 5cm/f2, ilford delta 400

機材選択の問題は、あまりに小さい。

ただあまりに「問題」が小さすぎて、気持ちが溢れてしまう人が多いのも事実。



今回は機材についてあれこれ考えて時間を潰してしまったお話です。

私の使っているカメラは、1955年製のライカM3です。
ライカIIIbを買いにカメラ屋に行った際、試しに触らせてもらったM3の感触に惚れ込んで現金一括で購入したのが、最初に買ったM3。
これは後期型で、修理の折に初期型のものを追加で購入しました。それが、今使っているM3です。

M3以前は何を使っていたかというと、IIIfやIIIaといったバルナック型ライカでした。
これにエルマーの5cm/3.5を付けたのがポケットに入るほどコンパクトでお気に入りだったのですが、M3ではそうはいきません。
おまけに、M3のブライトフレームは枠が太く、枠の内側にフレーミングしてしまう癖が付いて腰の引けた写真を量産するようになっていました。


つまるところ、M3という完成されたカメラを手に入れたはずなのに、納得していなかったのです。

かといって、今からバルナック型ライカを買うことは考えていません。今は小型で高性能なレンズ交換式デジタルカメラが多く、経年劣化して精度の出ないカメラよりも優秀に仕事をしてくれると知っているからです。

こんなところでフィルムvsデジタルの話しかと、思うでしょうが、
結論は、どちらも買わないというものです。

どんな機材を使っても、眼は取り換えが聞きませんから、あまり変化がないと判断したためです。

2014/10/20

パラダイム・シフト

Leica M3, Summicron 5cm/f2, ILFORD DELTA 400

この一ヶ月、めまぐるしく変化する自分の人生とクローゼットに置かれたライカは、まるでトレードオフの関係でした。

値上がりしたイルフォードのモノクロフィルムを買い溜めていても、その変化は一瞬。
フィルムかデジタルかという世界の話ではなく、そもそも写真から離れてしまうほどの世界の変化。

しかし何もかもが変わるというわけでもなく、並行した別世界を時間軸に沿って流れていくだけなのです。

2014/08/17

写真の選び方と黄金分割比

似たような写真の中から一枚を選ぶ時、選び切れないからと何枚も選んでしまうのはスマートだとはいえません。

中から一枚だけを選ぶ時、横に並べて見渡して、絶対これだというものを選択することになります。
フィルムであればコンタクトシートに写るコマを見てダーマトで印を付ける、コンピュータでなら、サムネイル一覧を見てフラグを立てる、そういった作業をします。

被写体となる人物がより良い表情であるかとか、雰囲気をより良く伝えているかなど、写真を選ぶには様々なパラメータがありますが、優柔不断な私の場合は構図から判断します。

今回は構図から写真を選ぶ例を公開します。




上半身裸の中年男性に警戒されながら撮影した写真を3枚用意しました。

左は、人物の位置関係を中央に向かっていく木で目立たせているように感じましたが、画面全体を見ると引き過ぎて弱くなっています。

中央は寄ったことで手前の人物がバランスを取りましたが、画面全体を見るとなんだか定まらない感じです。強くない、ような気がします。

右は、不安定ですが右方向に広がっていくような勢いを感じます。ただ、俯瞰してみると画面全体がぐしゃぐしゃです。


強いて左かな、あるいは全部パスかも。


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この線を引いた画像を用意して思ったことがあります。

20世紀を代表する写真家、アンリ・カルティエ=ブレッソンは、著書「THE MIND'S EYE」の中でこう述べています。

「黄金分割を探り当てる唯一のコンパスは写真家の眼だ。(~中略~)ファインダーに装着すれば、理想の透視図線が見えるなどというガラス板が写真屋で売られるような日が来ないことを願う。」
※「こころの眼―写真をめぐるエセー」P39/堀内花子訳/岩波書店刊


OpenCVなどの画像を扱うプログラムライブラリを用いて、主題を検出して点を表示したり、その点と点を線で結んだり、像が黄金比に触れる位置にあればピーキングしたり、あるいはそのような比率を構成したと判断してシャッターを切るようなスマートフォンアプリが登場すれば、彼が来ないことを願った日が来ることになります。

人類総アンリ・カルティエ=ブレッソン化の実現までそう遠くないかもしれません。

ただそれは、かつて必要とされた職人的技術がコモディティー化されたということであって、本城直季氏の大判アオリ写真がミラーレスカメラやスマホアプリの画像加工で簡単に出来てしまうのと変わりないことです。

そんな時代の流れともいうべき変化のなかで、趣味で写真をしている身としては、なんともゆったりとした時間の中で気ままにいられることは幸せのように感じられます。

2014/08/10

「何故、大切な一瞬を大切にしないのですか。」

Leica M3, Summicron 5cm/f2, Ilford Delta 400

シャッターを切った直後に背面の液晶を覗き込む姿を見ると、なんとも言えない気持ちになります。

もう二度と戻ってこないことを気にしてばかりで、今を撮ること、すなわちファインダーを通して物事を見ることになんら注意を払っていないことに。

結婚式のカメラマンなんて、正にその最たる例です。


「何故、大切な一瞬を大切にしないのですか。」


プロかアマか、上手いか下手か、なんていうパラダイムで話を聞きたくありません。

ただただ、何故、大切な一瞬を大切にしないのですか。

お気に入りの場所

Leica M3, Summicron 5cm/f2, Ilford Delta 400

写真を撮っていると、だいたい撮りに行く場所というのは決まってきます。

私にとって横浜もそのうちの1つ。


いろいろな場所へカメラを持って出掛けていきますが、スランプになったときには、お気に入りの場所へ行くようにしています。


2014/07/05

旅と車窓と徒然

Leica M3, Summicron 5cm/f2, ILFORD DELTA 400

電車から見る車窓には、どこへ行っても建物が見える。

どんなところにも同じような建物があって、そこでは普通に人が生活している。

自分の全く関与しない未知の街で営まれる人生について考えると、今度は反対方向から自分の人生についてその眼差しが向けられる。

電車に揺られてすっかり太陽の沈んだ夕暮れを眺めていると、会社で仕事をしても、休んでも、旅をしても、してなくても、何をしても、しなくても、必ず一日が終わっていくという事実を知る。

旅をしていて思うことは、今日一日、何をするかということだ。

2014/06/25

旅とカメラの徒然

Leica M3, Summicron 5cm/f2, ILFORD DELTA 400

先日、久しぶりに旅へ出掛けて来ました。

久々の旅行ということもあって出発の数日前からウキウキしていて、何を持っていくか悩んだり、旅支度を済ませた荷物を並べてはしゃいだり、SNSへその荷物の写真を掲載したりして楽しみました。

カメラのことには一切触れませんでしたが、ある知人はそこに小さく写るライカM3を見つけるや否や「デジタルカメラを買うように」とコメントをくれて、その他の人は「近くに来たら連絡をしてほしい」とか「良い旅であるように」といったコメントをくれました。
人によってフォーカスを合わせるところが様々なのは興味深いことです。


私は旅のお供に一台のカメラを持っていきます。
このカメラは見た景色を記録として撮るモノではなく、見た景色をどう表現するかという「遊び」のためのモノです。
観光名所や絶景は滅多に写真に撮りません。
それは、列車の移動時間に食べるお菓子やホテルで夜を明かすためのマンガやボードゲームのようなもので、有っても無くても困るものではなく、しかし有れば楽しみが増えるようなものです。
絶景や歴史的建造物を前にお菓子を頬張ったりボードゲームに興じないのと同じように。


そういえばちょっと前に、「旅先で写真を撮ると記憶に残らない」というニュースが話題になりました。
それは、「カメラ=記録装置」というのがパラダイムの人に関して見れば、記憶として覚えておく必要がない、というただそれだけの話ではないでしょうか。
社会科のテストのように、あらゆる出来事を暗記してあれば良いというのであれば、私は赤点でも構いません。

何もわざわざ旅先まで行って、定番の撮影スポットをファインダー越しに見たいわけではありません。
私が撮りたいと思うのは、旅で感じた景色の表現です。
と、言うと仰々しいですが中身は極めてラフな考え方で、観光地らしい写真や上手な写真といったルールも無く、旅先で食べたコンビニのメロンパン美味しいと感じたらメロンパンをそう撮れば良いというくらいのものです。
それが上手くできたら嬉しいという「ただの遊び」でしかありませんが、これはその旅の印象深い出来事ばかりを写すことになります。


こういう「遊び」を余裕ある心で楽しめることは誠にありがたいことのように思います。

猛烈に過ぎ去る時間の中で、どのように生きたとしても、人生の終わりは平等です。
楽しいという時間、苦しいという時間、そうした"感情をした"時間を積み重ねた最後には、思い出しか残りません。

これからたくさん生きて、日々衰えていく脳に多くの記憶が詰め込まれるなかで、写真に残る良き日々の一瞬はどのような気持ちを呼び戻すでしょうか。

人は旅をすると、写真を撮ったり、絵を書いたり、詩を読んだり、日記を付けたり、そんなことしないよという人も、土産物(置物)を買ってきて床の間に飾ったりします。
それは一体、何のためなのでしょう。

2014/06/11

フィルムカメラが消える時

Leica M3, Summicron 5cm/f2

フィルムでも、デジタルでも、
確実に、間違いなく消えてなくなるのは、テクノロジーではなくて、私達の命です。

命が終われば、フィルムカメラも、デジタルカメラも、何もかもが終わります。
あと何年でフィルムが終わるという不安も、来年出てくるデジカメへの期待も、終わりです。

フィルムの保存性、アーカイバル処理、HDDへの保存、クラウドバックアップ、全て、無くなります。

読み出す装置である肉体と精神が無くなると、画像を読み出せなくなるのです。だから、全て、無くなります。

自身のことだけを考えれば、何かを残そうというよりは、一体、私達はこの人生のなかで、どのような気持ちを得ようとするのか、なのです。

2014/04/19

「プロっぽい写真」考



「プロみたいな写真」と言われる写真があります。

みんながコンパクトカメラや使い捨てカメラを使う時代には、、、

野鳥やカースポーツなど、遠くのものを大きく写す写真であったり、
狭い室内や雄大な自然など、画面いっぱいにたくさん写す写真であったり、

写ルンですでは表現できない画角を活かした写真が「プロっぽい」写真で、
強いて言えば、レンズ交換式一眼レフカメラを使うことが「プロっぽい」でした。


みんながダブルズームキットのデジタル一眼やスマートフォンのカメラを使う時代には、、、

ダイナミックレンジの広い柔らかい階調を持つ写真であったり、
大きな背景ボケのある写真であったり、

小さなセンサーと被写界深度の深さでは表現できない撮像素子を活かした写真が「プロっぽい」写真で、
強いて言えば、センサーと画像処理エンジン、それに大口径レンズを選ぶことが「プロっぽい」のように見えます。

iPhoneで撮った写真も、デジカメ的なストレートな画質よりも、Instagram的なフィルターを咬んだものが「プロっぽい」とされています。


撮った写真だけ見れば、みな、希少性に価値を見出しているように見えませんか?


先日、グーグルはandroidアプリ「Googleカメラ」をリリースしました。
このアプリケーションには、撮影時にスマートフォンを移動させて被写界深度を計算し、ソフトウェアで背景ボケを生成する機能が付いています。
後からピント位置を編集できるので、Lytroと競合します。

これは難しい技術の塊にも見えますが、もっと簡単な仕組みでボケを生成する技術としてはモルフォ(3653)の「Morpho Defocus」のようなものあります。
これは被写体とその背景にピントを合わせて背景にぼかし処理を入れるというものです。

スマートフォンのカメラはセンサーが小さくて画角が広めなので被写界深度が深く、ボケは今まで苦手な表現でした。
ところが、ソフトウェアは万人に対して光学性能の縛りを無くすレベルまで進化したのです。


みんなが「一眼レフを使ったような」大きな背景ボケを楽しむ時代がやってきそうです。


その頃にはどこに希少性を感じ、何に「プロっぽい」と感じるようになるのでしょうか。
それとも、「プロっぽい」を追いかける時代が終わるのでしょうか。


そのうちの一つで答えが出ているのはGoProでしょう。

大きくしたり小さくしたり、極端に傾けたり間を開けたり、ハイキーにしたりローキーにしたり、ぼかしたり、色を転ばせたり、いくら変わったことをしても、人生の経験自体は変わったりしません。

ツーリング、スカイダイビング、サーフィン、ほかたくさんの冒険が今日もYoutubeにアップされ、マッシュアップされて世界中に拡散される世の中で、知っていることはたくさんあっても、個人の人生経験は、その人個人のものなのです。

「プロっぽい写真が真似できて嬉しい」という感情ではなく、自分の人生そのものを歓ぶ感情が問われている。そんな風行きを感じています。

2014/04/05

説明すればするほど、考えることを諦める

Leica M3 ?
川瀬巴水という木版画家の作品が好きです。
穏やかでしっとりとした景色と、まるで人生のふとしたタイミングで思い出すかのようなストーリーが、四角い絵の中で永遠と流れ続けているのはなんとも言えない魅力があります。

木版画ということもあるのか、作風なのか、輪郭を表す線は太く描かれています。
それなのに、細部まで緻密に描かれているように感じるから不思議です。

写真では中版・大判を使ったり、高画素センサーを使ったり、あるいは繋ぎあわせてギガピクセルにすることで、どこまでも細部を描き出すことができるのに、木版画がそれに勝るほどの精密さを魅せるのは意外でした。

むしろ、「ここには何と書かれていて、影はこうで、光っているところはこうで、色がこんな鮮やかで、それで、、、」なんて写真が説明すればするほど、見る人はただ「キレイ」の権威に平伏して、自ら考えることを一切辞めてしまうのではないかと思うこともあります。


これ以上のキレイを目指すなら、脳に電極を刺して刺激を与える方法がより良い「鑑賞」にも思えます。
何も考えないのなら、ヨダレを垂らして快楽に浸れることができると幸せかもしれません。


2014/03/16

カメラ選びで迷っている方へ。「もし値札を見ないとしたら、どのカメラにしますか?」

Leica M3, Summicron 5cm f2, ILFORD DELTA 400

カメラ趣味の世界には、次のような'アドバイス'があります。

「初心者はまず入門モデル(廉価版)を買うべきで、一通り使いこなしたら値段の高いモデルを買うべきだ」

数十年前は機械的なスペックに大きな優劣の差が有ったため、このような話題で雑誌の投書欄はしばし盛り上がったりしました。
最近は入門機のスペックが驚くほど良いので、こんなアドバイスが今現在も通用するかどうかは分かりません。

また、このアドバイスは自身のプライドと経済状況から生み出されているようにも見えます。
かつて売れっ子のカメラマンほど高価な機材を持っていて、それがある種のステータスシンボルであった時代もあったからです。

そうして考えると、このアドバイスはとても重要なメッセージを示唆しています。
それを知るために、「もし値札を見ないとしたら、どのカメラにしますか?」という問いかけに変えたいと思います。
カメラでなくとも、レンズであったり、また他のものでの問いかけでも良いかもしれません。
これから写真を趣味に始めようとする人が、「自分は初心者だから」と一番安いものを選択しようとしていた場合にも有効な問いかけです。

より正確に言い表すならばこの問は、「撮りたいものを撮りたいように撮れるカメラはどれ?」になります。

例えば、
「小さなお花を大きくふんわり綺麗に撮れるのはどれ?」
「デジカメみたいに気兼ねなく撮れるフィルムカメラはどれ?」
「子供の室内競技の様子をアップで撮れるのはどれ?」
「カワセミなどの野鳥を画面いっぱいに撮れるのはどれ?」
「空や海を広く撮れるのはどれ?」
「釣りの疑似餌と一緒に海に放り込める動画機能付きカメラはどれ?」
といった具合です。

小さなお花を~なはずなのに、ファインダー倍率の小さな一眼レフカメラを暗いズームレンズキットで購入してしまったら、この人は思うように撮れなかったことで意欲を失い、写真趣味をやめてしまうかもしれませんね。

「初心者は…」とアドバイスする人は、もしかしたらこうやって新参者の芽を摘んで、いつまでも自分が優位に立っていたいと願っていたのかもしれません。
裏を返せば、そのレベルの写真なら機材を選ぶことで簡単に撮ることができるというわけです。

お金が問題なら中古もあります。また、所有することが全てではありませんので、レンタルという選択肢だってあります。知人に貸してもらうというのもそうですね。

自分が初心者かどうか、家計の状況がどうか、というパラメータは含めずに、ただ単純・純粋に、「どれ?」で探してみるのはどうでしょうか。

一つの手段が取れないために、目的すら外してしまうのは、一番勿体無いことです。

自分の目指す写真が撮れている時、あなたはどんな姿でどんな機材を使って写真を撮っているでしょうか。

迷っていたら、イメージしてみてください。

2014/02/15

画角を決めておくということ

Leica M3, Summicron 5cm f2, ILFORD DELTA 400

先日、人からデジイチを借りてイベントの撮影をしました。
レンズには40mmのパンケーキ。久々に、しっかりとグリップを握りしめた気がします。

狭い場所でたくさんの人がいたので、ファインダーを覗きながら、ほんのあともう少し広い画角が欲しいなと思いました。ちょうど、レンズから見れば35mm弱くらいでしょうか。

けれども、借りたデジイチはAPS-Cサイズ機で、40mmのレンズでも35mm換算画角は60mmくらいになります。

私がその時、本当に欲しかった画角は50mmだったようです。

こんな時でさえ、普段使い慣れた画角に落ち着くのは面白く思いました。


飛び込んできた景色をすぐに捉えたいと思う時、一つの画角に決めているとそれは強みになったりもします。

パースペクティブによって、自分の体を移動させれば画面に変化が出ます。
何より被写体との物理的な距離は、心理的な距離にも繋がってきます。


自分がどこにいるべきか。

一つの画角に絞ることは、問題をシンプルにする解でもあるのです。

2014/01/22

今日も世界は美しい。

Leica M3, Summicron 5cm f2

世界が今日も穏やかで美しいのは、私が穏やかで美しいものにフォーカスしてるからに他なりません。

と言うのは、世界とは自分が見たまま、正確に言えば、自分が認識したまま、もっと言えば、自分の世界観であるように思うからです。

誰かが世の中の不満を漏らすその横で、私はニコリと微笑みます。
「あなたの見ている世界を私は知らない。」

今年も、”そういう世界の証明写真”を目指して撮っていきます。
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